【3分で学べる】戦国あれこれ① 信長の金のドクロについて

【3分で学べる】戦国あれこれ① 信長の金のドクロについて
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信長の金のドクロ

 

若い頃には「うつけ者」として知られた織田信長ですが、後年になってもその奇抜な行動に配下の者は驚かされることもたびたびあったようです。ここで取り上げるエピソードにも驚かされた者もいたかもしれません。

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恐ろしげな年賀の酒宴

1574年の元旦に、信長は稲葉(岐阜)城内で年賀の酒宴を開いていました。馬回り衆(信長の側近エリート武将たち)だけの祝い酒となったときに、信長が黒塗りの三つの箱からそれぞれ取り出したものがありました。それはなんと金に塗られた3つのドクロ。金色なのは、箔濃(はくだみ)といって漆塗りの上から金粉をかけるという加工(金ぴかというよりは黒地に金色が光るイメージ)をされたものだったからです。もちろん、このドクロはホンモノでした。これらは、信長と対立した足利義昭(あしかがよしあき)に味方していた越前(福井県)の朝倉義景(あさくらよしかげ)、近江(滋賀)浅井久政(あざいひさまさ)と長政(ながまさ)親子のものだったのです。いずれも前年8月に戦で信長が討ち取った3人でした。そしてこれを肴に皆で酒を飲んだというのです。現代人の感覚では、ちょっと残酷すぎて引いてしまうこの行為。本当だったのでしょうか。

 

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記録に残る金のドクロ

この金のドクロのエピソードについては記録があります。一つは『信長公記』。そこには上記の3名のドクロに漆を塗ったものを馬廻衆との宴会に披露した、と書かれています。もう一つの記録は『浅井三代記』。こちらの記録では、これらのドクロを盃にしたと書かれています。『信長公記』は江戸初期に信長一人の年代記をまとめたもので、客観的で信憑性の高い記録とされています。『浅井三代記』は、江戸中期に多くの人に読まれた「読み物」としての性格が強く、架空話が多いので史料として信用し難いものです。これから考えると、信長はドクロを披露はしても、盃にして酒を飲むことはなかったと考えられます。

 

実は、髑髏を盃にするという髑髏杯の習慣は、中央ユーラシア辺りでもありました。日本には、討ち取った首を荼毘に付して遺骨を7年間供養すると成仏できる、という考えられていました。8年目にはドクロに魂が甦り、神通力を与えるという考えが中世に流行したことも。つまり、髑髏を装飾して披露するということは、ドクロの主も信長と一緒に酒宴を楽しませ、魂を供養する、という意味があったらしいのです。信長が残酷な性格だったからではなかったということですね。

 

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おわりに

供養のためだとはいえ、自分たちが死に追いやった人物の3つもあるドクロの前で飲む酒の味はどんなものだったでしょう。考えてしまいますね。

 

 

明石 白(あかし はく)

スペイン在住という効率の悪い日本史バカ。ライター。歴史記事とコマーシャル記事とかコピー書いてます。日本史を日常に。

明石 白(@akashihaku) Twitter  https://twitter.com/akashihaku

 

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